ひだまり
あけましておめでとうございます。
新年早々重い話で申し訳ないけれど、パイという飼い猫との別離についての短い文章を書く。
書くことによって彼女への手向けにしようと思う。
それが終わったらまたちゃらんぽらんな僕に戻る。
クリスマス・イブの前日にパイが死んだ。
朝起きたらリビングで倒れていた。そのまま僕の膝の上で静かに息を引き取った。それほど苦しまなかったのがせめてもの幸いだった。
去年の夏を過ぎて夏バテで急に痩せたのが変化の兆しだったように思う。次第に物を食べなくなり筋肉が衰えていった。11月にハワイに行った時に動物病院に預けたのが半ば検査入院になってしまったのだけれど、慢性腎不全の疑いありと言われた。二年前に亡くなったプーと同じ病名である。だから僕たちは知っている。腎臓を悪くすると根本的な治療は望めないことを。
今回は病院での積極的な治療はやめようと僕たちは決めた。病院の行き帰りに鳴き叫んで体力を減らしたり、治療によってストレスを与えてしまうことはもうしたくなかった。そんな勝手なこと、とも思った。今でも思っている。点滴したり透析してあげれば年を越せたかもしれない。猫は飼い主にも弱みを見せないという。だから彼女がこの方針に満足してくれたかどうかは判らない。
いずれにせよ、クリスマス・イブにパイは煙となって天に昇っていった。僕たちとキジトラのチャイを残して。
パイはチャイに対してはどういう訳か気を許すことがなく、パイが僕の膝にいる時にチャイが寄ってくると怒ってプイとどこかに行ってしまう。チャイはこれ幸いとちゃっかり僕の膝をゲットできる。チャイが家に来てからずっとそういう関係だった。かわいそうなことに、チャイは特にパイを嫌っている訳ではないのですり寄ったり毛繕いしようとして怒られていたものだった。
ちなみにチャイは僕にしか気を許さない。僕の膝を待ちわび、僕が帰ってくると一目散に飛びついてくる。そして夜は僕の脇に頭を乗せて眠る。僕はチャイの背中をなでながら眠る。動物を飼う以上、柔らかなことも、温かなことも、ふわふわなことも、ゴロゴロなことも、その先にあることを含めて全て飼い主に委ねられていることを実感する。
リビングの窓辺でひだまりの中にいると、今でもふと隣にパイがいるような気がする。
パイがいなくなったことをチャイはどう思っているのだろうか。
いつか聞いてみたい。
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